ヤマト・ラッキー号の歴史

昭和20年代前半より(有)ヤマト商会 が販売したオートバイで、
エンジンは 4ストローク 90cc
販売価格は ¥55,000(当時 大卒銀行員初任給 ¥5,500 映画入場料 ¥100程でした)

沿革 へ もどる
ラッキー館 へ もどる

当初、ヤマト商会はオートバイの販売店でしたが、メーカー(現在もオートバイを製造している H社)から、なかなか入荷しなかったため、自社で製造しようと思い立ちました。
  
しかし、ヤマト商会には製造技術・能力が無く、
製造拠点を探すため奔走した末、当社にたどり着きました。
昭和22年の事です。
  
当時の社長(増田惣吉)は、この話に大変興味を持ち、話はとんとん拍子に進むかと思われましたが、当社に、製造技術・能力があっても、エンジンに関する知識は有りませんでした。
もちろん、図面もありませんでした。

では、どうしたのでしょう?
答えは簡単、中古のエンジン(外国製)を手に入れ、分解し構造を調べたのです。
  
ヤマト商会はこれで、「製造拠点も出来た」「エンジンの仕組みも解った」
  
         『後は作って売るだけ』
  
と思ったでしょう、

しかし、物事はそう、うまく行くものではありませんでした。
  

● ヤマト・ラッキー号とは?

●(有)ヤマト商会と増田鐵工所 1

その2へ続く