● (有)ヤマト商会と増田鉄工所 4

当時、当社の生産能力は 25台/月

ところが、注文は増える一方、とても当社だけで対応出来無くなっていました。

ヤマト商会も安全自動車から
 「金は出すから、もっと大きな工場で効率よく生産しろ!」と
指導されていたようで、
慌てたヤマト商会は、当社よりかなり大きな会社に生産拠点を移そうとしましたが・・・・

ラッキー号の販売が始まっているこの時にいたっても、
未だ、エンジン部品の正式な図面は無く、図に寸法を書き、調整するたびに上から書き直した簡単な物でした。

しかし、図面は、当時の何処の会社もそうで有ったように、
時間をかけて作り上げた会社の財産です。

当社もご多分に漏れず職人気質で、
 「俺たちが苦労して作り上げた図面を、なぜ他社に渡さないと行けないんだ!!」
と言った状態で、他社には最初の図面が渡りましたが実際の寸法とはまったく変わっていた為、エンジンは完成しませんでした。
拠点の変更は断念する事になりました。

しかし、注文は増える一方です。

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